ウガンダ初日 8/16

 10 時に羽田空港国際ターミナルについた。 そこから私が乗る中国南方航空でカウンターチェックインをしようと した。(オンラインチェックインは、できなくなっていたため)しかし、カウンターは 13 時 10 分まで開かないという趣旨を聞かされて、 日本での最後の昼ごはんであるカツ丼(ヒレカツ、卵とじ)を食べ、屋上に行き飛行機を眺めて時間を潰していた。13 時になりカウンター に行くとすでに長蛇の列であった。そこで、1 時間程度ならび無事にカウンターチェックインを済ませた。ウガンダに渡航する際にスタッフが打つ事項として、現地の住所と電話番号があるらしい。しかし、 ウガンダには住所という文化がなく(ウガンダ以外のアフリカでもそ うであると思うが)空港スタッフ側も私側も戸惑っていた。最終的に は、ICYE の P.B.BOX と電話番号を教える形でまとまった。そのあと、 カウンターで荷物を預けた。驚いたこととして。羽田で預けた荷物が そのままウガンダまで運ばれるることだ。ロストバゲッジをする 未来しか見えなかったがきちんと私の元まで運ばれて来た。カウンタ ーでの用事を済ませたあと、出国前最後の日本食のズンダシェイクを 食べた。ズンダシェイクはマジで美味しい。これを食べ、満足して出国手続きに移行した。出国手続きをする前、母親と別れる時なんだか すごく寂しさを覚えた。6週間も母親と別れることが初めてだったか らだろうか。その後、中国の広州行きの飛行機に乗った。席はチェックインの遅さと満席が相まってか、真ん中の列の真ん中になった。飛 行機は、定刻より 15 分遅れて出発した。16 時ごろ羽田を出発して 17 時 30 分くらいに第一回の機内食があった。ここでは、チキン or フィッシュと聞かれフィッシュを選んだ。その後食べ終わり、食器等が回収され、20 分程度たったのちなぜか CA さん(中国人)に食べ残りのフルーツ食べる?となぜか聞かれた(ような気がした)。あれはなん だったのだろうか。中国語で聞かれたのと寝起きだったせいでさっぱりわからなかった。さて、機内アナウンスは中国語→英語→日本語の順にアナウンスされた。日本語は、日本人の添乗員さんがアナウンスしていたため聞き取りやすかった。この1人の日本人の CA さんを除くとあとは中国人の CAさんだった。半数は、モデルをやっているのではないかというくらい、顔が小さく美人さんだった。広州に行くまでにドリンクサービスや機内食の配達で、私は最初には中国語で話しかけられた。顔が中国人よりなのか??そんなこんなで中国時間 19 時 50 分(日本時間 20 時 50 分)に広州に到着した。広州の空港のトイレに入るとアメリカのお菓子見たいな匂いがした。この匂いの元は、泡石鹸だった。また、便器は長方形で座り辛い。もちろん便座の消毒液などもなかった。(ウォッシュレットは言うまでもない)。しかし、トイレットペーパーはそのまま流してよく驚いた。また、空港にはたくさんの温水を入れるスポットがあった。多くの中国人が マイボトルを持っていたため、中国にはマイボトル文化があるのだろうか?Transfer では no water??と空港職員がひたすら聞いていたた め、せっかく温水を入れても捨てる運命だったのか?ここの Transfer が今回の旅でのはじめの英語を使う場所となった。なんか途中よくわ かんなかったけど、year!って言ってたら Transfer が終わってた。そ の後、喉が渇いていたため中国語で便利店って書いてあったお店で 16 元のエビアンを買った。16 元っていくらなのか、安いのか?高いの か?さっぱりわからなかったので、カード会社からの請求が来てからのお楽しみだ。ここでも、店員さんが可愛く、旅の出鼻はいい感じだ。広州ではトランジットが 2 時間程度あったため、空港内をうろちょろしたのち、Wi-Fi につなげて遊んでた、Wi-FiのIDなどを取得する機会がなぜか日本語のみで案内されており、どこの国のおじさんかわからない人に教えてあげた。その後、アマゾンプライムで「言の葉の庭」を見て時間を潰した。中国時間 22 時 40 分に広州を出発した。 席は窓側だった。機内においてバンコク経由である事を知った。出発 してから1時間後くらいに再び機内食が提供された。今回は、チキン or ベジタリアン?と聞かれチキンを選んだ。そしたら、餃子パイの ようなものとチョコマフィンが出て来た。広州からバンコクまでも CA さんは中国人が多かった。今回の CA さんは愛想がなく怖い人が多かった。機内アナウンスは、英語→中国語の順で流れた。タイ時間 25 時(日本時間27時)にバンコクに到着した。

 

 

 

ウガンダでの活動先について

私は、今年の夏にウガンダにあるKiyumbakimu Children Villageでボランティアをしてきた。以下では活動先について述べる。

 

 

Kiyumbakimu の歴史
地元の共同体の必要性は、2005年の中頃に KCV によって設立され たNGO団体のUganda Volunteers for Peace(UVP) によって認識され ていた。募金はすぐさま始められ、積立てが増えると、2006年から 2007年の 12 月まで行われてた建設事業に有用に使われていた。2007年に 12 月に、Kiyumbakimu は、この村に最初に10人の子供を迎い入れ、最初の KCV family を作ったのだ。
Kiyumbakimu のコミュニティー
ルワンダコンゴ民主共和国からの難民が大多数を占めている。この 地区は、ウガンダの中でも HIV罹患率が高い地区の一つである。ま た、多くの家庭が近隣の孤児の世話をしていて、大きな家族として形成 している。不幸なことに、教育基準は低い。高い教育基準をもつ学校は、 大多数の家庭の支払える金額を上回っており、それゆえ多くの子供たちは初等教育を受けていないのだ。
貧困や教育の状態
KCV は教育を最も重要なこととして受け止め、責任を受け持っていると 考えている。そのため、学費を払えない家族の子供達に教える場として KCV を用いている。この村のすべての子供達は、現地の小学校に通い、そして KCV は学費、制服、学習用具を提供している。
KCV の未来について
KCVの全てのこどもは、世界中の個人の援助で支えらえている。親元の NGO 団体の UVP は、現在、スタッフの給料を負担している。また、食べ 物、衣類、ヘルスケア、建物の建設や拡張といったほかのコストは、個人の寄付によってカバーしている。現在、Kiyumbakimuが直面している 大きな任務の一つとして、信頼を保ち、これらの重要な出費を資金の維 持をすることだ。KCVは、5年以内にそれぞれ10人の子供を新たに家 族に向かい入れ、新しい家族を 4 つ作ることを目標としている。その ため、村の用具の出費が増えてしまう。KCVはこれらのことを満たす前に、家族部屋を増やし、子供をケアするためのこの村の運営スタッフを雇う必要がある。それゆえ、この拡張計画は、十分な資金の拡充に頼っているのだ。
KCV は、ウガンダNGO に登録されている UVP によって運営され, International Cultural Youth Exchange(ICYE)連合のメンバーであり、 European Commission に加入している。現在、この村のスタッフは、四 人であり、プロジェクトの管理者、寮母、料理人そして運営者で構成さ れている。彼らに加え、UVPを通して1年間で平均して2〜4名のボラ ンティアが参加している。それぞれ、だいたい一年間参加し、教えるこ と、寄付、運営を実行している。

なぜウガンダにいきたいのか

 小学生の頃、アフリカで同年代の子供たちが飢餓や感染症で亡くなっている現実に衝撃を受けた。そのため、アフリカで医師として働きたかったが、浪人しても医学部に入れず別の道で自分の新たな夢を追いかけようと思った。しかし、やはりアフリカで医師をやりたいという気持ちは完全には消えなかった。そこで、実際に自分の目でアフリカの現状を見てみたく今回学校のプログラムの一つであるグローバルボランティアに申し込んだ。今回の最大の目的として新たに受験し直して医師を目指すか、今のまま医療工学専攻で突き進むかはっきりさせることだ。
 今回の目的は、現地の生活を知ること、現地の日常に溶け込むこ と、現地の常識と日本の常識の差異を知ること、現地の人がどうすれ ばより良い生活が送れるかを考えるきっかけを得ること、そして自分が本当にやりたいことが何なのかを考えることだ。現地の生活を知ること、日常に溶け込むことをするためにホームステイをすることや共同の場所で生活、食を共にするなどして積極的に自ら現地の人と同じ 時間、生活を送る。次に常識の差異については、同じ生活をしたことからなぜ日本とは違うことが定着したのかを考える。また、常識となった背景についても聞いたり考えたりしたい。より良い生活のためには、常識を良い意味で覆す必要があると思う。例えば、水溜りの日本 人からしたら汚い水を現地の人が日常的に飲んでいるとする。そこ で、浄水した水を飲むメリット(病気にかかりにくくなる)を理解してもらうことで、毎回浄水する習慣を作ってもらう。以上のように段 階を踏み目的を達成したい。最後に、自分が何をやりたいかを考える ことについてだ。将来やりたいことは、子供についてのこと、発展途 上国についてのこと、医療についてのことの3つがある。その中でにやりたいことが明確にあるわけではなく、子供は接することがただ ただ大好きということ、発展途上国特にアフリカは、中学生の頃からずっと心に残っていて医師を目指したきっかけでもある。医療につい ては、アフリカに興味を持つきっかけになったアフリカで活躍してい た医師に憧れたことや親戚が医師のこと、また自分が病気がちであっ たことから興味がある。その中で本当に自分が心の底から興味がある ものがなんなのかを実体験を通し気付きたいと考えている。今後の学習として、一ヶ月前後という短期間ではなく、長期的にやり自分らが 持ち込んだもの(現地に溶け込んだ生活をして、必要だと思ったもの)を提供して終わるのではなく、現地の習慣にして定着させて帰っ てこれるような方法を考え、それを提供できるくらい長い間の留学をしてみたい。また、私たちが持ち込んだものが相手にとって”幸せ” であるかどうかはわからない。幸せとは周りとの差異で生まれるもの であるがゆえ、誰かが幸せになる文化を持ち込むことで誰かが不幸せ になるかもしれない。また、”ボランティア”とは何か、”幸せ”とは 何か、”当たり前”とは何かを考えさせてもらえるグローバルボランティアに参加することは、海外におけるボランティアだけでなく日本国内や県内、または大学内での様々な活動に生かすことがで きると考えている。将来のキャリアとして、今回の参加で医師を再び 目指したいと思えば、医学部に入るための勉強をする。そして、ウガンダケニアをはじめとするアフリカで医師として貢献するという初志を貫徹したい。
また、医療工学専攻のまま邁進するとしたら現地 での簡易的な医療器具を作れるようにしたい。例えば、アフリカなどの発展途上国でもスマートフォンは流通しており、そのスマートフォンを用いて診断、観察が安価に簡単にそして、現地の流行っている怪我やマラリアなど病気などに適した器具を作れるようにしたい。

大学一年生、初めてのアフリカ、初めてのウガンダ

 私は、今年の夏休みにウガンダの首都カンパラから160km離れた農村地域の孤児院で、子供達と6週間共同生活送りながら、日常生活のサポートを行った。

 今回のボランティアでは、自分の無力さを実感した。現地に行っても自分にしかできないことはなかった。代替可能なことばかりしかできなかった。私がボランティアでここの孤児院に来なくても自立して運営できてるし、とりわけ手伝うこともない。活動内容も何も与えられていないし、他のボランティア生もいない。また、孤児院の責任者も半分の期間くらいは孤児院にいないし、頼る人もいない。トイレも穴が掘ってあるだけだし、水浴びの水は近くの池から取ってきたもので寄生虫も泳いでいる。飲み水は雨水だし、電気水道ガスはもちろん通ってない。水汲みは1日2時間くらいかけて凸凹の道を歩いて取ってくる。食べ物も買うお金も限られているので子供達だけで畑仕事をしなければ生きていくことができない。このような今までに体験したことのない環境で、6週間という短期間ではできることはなかった。しかし、日本とは全く異なる環境だったからこそ学べることはあった。もっとも印象的だったのは、上記のような環境なのに関わらず子供達や街の人たちはみんな笑顔に溢れていたことだ。物質的に不足していても、心が満たされていたら毎日笑顔で生きることができると実感できた。

 

これからのブログでは、今回の活動についての詳細についてどんどん書いていこうと思う。